大人になれるまで

白い円と申します

鬱病だった頃のお話

躁鬱1型という診断が下るまでの間、私は鬱病だと言われていた。

 

 

事の始まりは2017年の1月あたり、突然気分が落ち込みはじめ、涙が止まらない日々が続いた。バイトはなんとかできていた。繁忙期だししっかりしないといけないという気持ちが働いたのかもしれない。だが、退勤して自転車に跨った瞬間に涙が止まらなくなって泣きながら自転車をかっ飛ばしていた。今考えると完全に不審者だったと思う。

 

当然の如く夜は眠れなかった。その上原因不明の全身のコリに悩まされていた。そういえば首も座らなくなっていた。(家の中でマフラーを巻いて固定していた。)そんな日々の中で何をして時間を潰していたのかというと、毎日白湯を飲みながら神聖かまってちゃんというバンドのメンバーが富士山を登る様子を中継した配信を延々と眺めていた。

 

寝転んでも起きても全身が痛い。何もできない。起き上がるのすら辛い。かと言って眠れるわけでもない。はっきり言って地獄のようだった。

 

さすがにこれはおかしい、と縋る思いで近所の精神科に予約の電話を入れた。予約がいっぱいで3週間待ってくれと言われ、は?マジ?そんなんそれまでに死ぬわ、と思った。しかし病院に行かんことには良くならんやろと考え、3週間、毎日白湯をすすりながら耐えに耐えた。

 

 

そうして迎えた初診日、初めて精神科のドアをくぐった。書類に色々と記入し、ケースワーカーという人に近況を端的に説明する。様々なステップを踏んで、やっとこさ医師とのご対面となった。「こちらがO先生です」と紹介された先にいたのは、伊藤潤二作品に登場しそうな、そしてこの人の方が精神病んでるんじゃないかと思えるような風貌の若い男性だった。

 

 

「どうされましたか」と訊かれ、近況を説明する。この時のことは正直あんまり覚えていない。処方としては、とりあえず、という形でワイパックスのみが出た。

 

向精神薬だ。調剤薬局に行き薬を手にした私はちょっと緊張した。どきどきしながら服薬する。そうするとあんなにしつこかった全身のコリがみるみる消えていった。素晴らしい。これが安定剤というやつなのか。すごいすごい。頭の中で拍手喝采が起こった。

 

 

後日診察を受けると、本格的に鬱の治療をしましょうかという流れになり、サインバルタというSNRIに分類される薬が処方された。20mg錠は淡いピンクと白色のかわいらしいカプセル剤だった。効果は覿面だったが副作用が全然かわいくなく、食欲不振と吐き気が酷くて12キロ痩せた。

 

投薬治療と学校でのカウンセリング(大学内にカウンセリングルームがあり週に1回1時間、無料でカウンセリングしてもらっていた すごいよね大阪芸大)のおかげで春ごろにはすっかり良くなり、むしろ躁状態にまでなってしまった。この辺りで躁鬱の疑いが出た。

 

その後正式に躁鬱の診断が下され、処方もガラリと変わった。今でも躁鬱(+統失)の治療は続いている。

 

 

引越しに伴って転院したため、O先生に診てもらったのは1年ちょっとだった。一時期毎日鬼殺しとストロングゼロを飲んでいた私に「鬼殺し、おっさんみたい(笑)」と笑ってくれたO先生、ハンドスピナーを自慢すると「で、出た〜〜〜〜!!!!」みたいな顔をしていたO先生、お元気にされているだろうか。ちなみに今の主治医はおじいちゃんだけどすごく明るくて話してて安心します。

 

 

 

最後に、私は何歳まで精神科に通い続けるのかわからない。もしかしたら死ぬまで通い続けないといけないのかもしれない。でも前向きに生きていきましょうなんてことはちょっと置いといて、先日受けたWAISの結果が気になって仕方ない。コンサータ飲みたいなあ。