大人になれるまで

白い円と申します

確認魔であることについて

私は確認魔だ。過去に強迫性障害の一種であるとも言われた。

 

部屋のドアはきちんと閉めたか?電気は消したか?トイレは流したか?コンロの火は消したか?窓は閉めたか?玄関の鍵は閉めたか?

 

代表的なところを挙げただけでも結構な数の確認ポイントがある。とにかく何でもかんでもめちゃくちゃに確認しまくらないと不安で不安で仕方ない。

 

私の中の確認魔が姿を表したのはおそらく高校生くらいの頃だったと思う。たぶんもともと不安症気味だったのが原因だと思われる。(高校時代、部屋のエアコンを切り忘れて1万円の罰金を課せられたのがトラウマというのもあるかもしれない。)確認ポイントの数と確認する回数は歳を重ねるごとに増えていき、大学3回生の頃にピークに達した。毎日家を出る前に5分間ほどの「確認タイム」を設けるようになったのだ。

 

確認タイムの内容は、脳内に作った確認リストに従ってコンセントやら部屋の窓やらをひとつひとつ指差し、番号を言いながら確認していくというものだった。当時は6畳一間で窓が1つしかない部屋に住んでいたので確認ポイントはそれほど多くないはずだった。しかし確認する回数が尋常ではなかったのだ。毎日毎日5分間ほどみっちり確認し続けていた。窓をガタガタさせて開かないか確かめる。IHコンロを触って熱くないか確かめる。一番酷かったのは『一度抜いたコードが再びコンセントに挿さらないか確かめる』というものだった。今考えるとあの頃の私は本当にどうかしていた。当時お世話になっていたカウンセラーにも「一度抜いたコードがもう一回挿さるなんてあるわけないでしょう」と言われた。それでも不安で仕方なかった。コンセントは半挿しの状態が最も危険だと信じて疑わなかった。冷蔵庫とインターネットのルーター以外のケーブルは全て抜いてコンセントからなるべく離して置いていた。

 

あの頃の私は本当にどうかしていた。

 

どうかしていた、と言っても現在の私が確認魔でなくなったのかというと全くそうではない。今でもゴリゴリの確認魔状態は続いている。今もどうかし続けているのだ。

 

なんだか書いていて落ち込んできたしこれ以上書いていくときりがないのでこの辺にしとこ。。。

 

 

 

最後に、戸締りや火の始末を確認することはいいことだとは思うが、やりすぎには注意した方がいい。私は確認のしすぎのせいかはわからないが住んでいた部屋のドアノブを破壊してしまった。だが、特に退去時に修理費は請求されなかった。よかったよかった。そういう話ではない。