大人になれるまで

白い円と申します

なるようになる

雨が続いており、少し、寒い。夏はもう終わったのか。

少し前に2回目の結婚記念日を迎えたのだが、プロポーズをしてもらった思い出の公園は貯水池がどうのこうので工事中となっており、立ち入ることができない。本当は料理とお酒を持ち寄って夜の公園で宴会をしたかった。

結婚する少し前、私たちは珍しく喧嘩をした。
原因は夫(当時は恋人)がスマホを見すぎているという些細なこと。
いつもいつも・・・と説教をし、終いには私が盗撮した夫がスマホを見ている写真をLINEで大量に送りつけた。
すると夫はヒ〜ンと声をあげ、しゃくりあげながら号泣してしまった。

この日は日曜だった。次の日からまた5日間仕事。こんな状態で1週間を乗り切れるものか。

私は言った。

「よし、今から唐揚げをたくさん作る」

タッパーに詰めた大量の唐揚げと、コンビニで買ったビールを持って、前述の公園へと向かった。

ビールを開けて、カンパイ。

「唐揚げおいしいね」

「公園で飲むビールは最高やね」

公園での宴を終えた私たちは帰宅後すっかり仲直りをしていた。

今でもたまにお互いがイライラしていてぶつかり合うことはあるが、その時は「せーのでごめんなさいしよう」と言って謝りながらハグをする。

そうやって私たち夫婦は2年間暮らしてきた。

次の結婚記念日はどんな感じで迎えるのだろうか。もしかして3人で迎えることになっているのだろうか。

先のことは何もわからない。

ケセラセラ
なるようになる
先のことなど
わからない

実母による毒親マウント

この記事を書くにあたって何回涙を拭い、何枚のティッシュを使ったのかは誰にもわからない。

大学2回生。ひとり暮らしでの2回目の冬のことだった。普段通りにバイトから帰って靴を脱ごうとしていると、ぽたた、と涙が床に落ちた。

えっなんで、なにこれ涙止まらない、何の涙?

涙は止まるどころかどんどん溢れ出し、私は玄関で半分靴を履いたまま声を出して泣き崩れた。

その日から眠れない全身が痛い首が座らないの地獄の日々が続いた。泣く時はいつも、幼い頃の自分(泣いたら叩かれるから服の袖を噛んで耐えていた)を憂いての涙だった。

耐えられず、母にLINEした。 「なぜか涙が止まらなくなって、夜眠れへん」

すると母は 『梅田(大阪)で今度会おう」と言ってくれた。

約束の日が来た。風が強い。時間に遅れると叱られるため、10分前には着くようにした。

いつもの約束の場所に着いた。母はまだ来ていない、よかった……。 すると、向こうから母が歩いて来、『!!!…あっちの方でずっと待っとったんやけど…?!!』と言った。しまった。やらかした。

そのあとは苦痛のショッピング。無印良品で5000円もするパジャマを買ってもらった。小さい声で「あ、ありがとう…」と言う。

お昼ご飯を食べようか、となった時、鬱病にかかったことのある人ならわかるだろうが、自分の食べたいものがわからない、というか何も食べたくない。

ううんううんとレストランフロアの看板を見て悩む。 『はよしてぇなぁ、何食べたいん?』

う、まずい、泣きそう。。。

『!!!なんで泣くん…?、!?』

結局その辺の店に入って食事を済ませる。 いやな満腹感をかかえながらスタバへと向かった。

ここからが本番である。

スタバにて 私「涙が止まらなくなるときがあるんや。ずっと子供ん時のこと考えてもうて…」

母「私が悪いっていうんか???」

母「ようそんなこと言うわぁ。私な、じいちゃんにシバかれまくって育ったんや。」

ど、毒親マウントがはじまった

母「じいちゃんが仕事終わって飲みに行って帰ってきて私の部屋の電気が消えとったら、あのジジイ、「おい、何しとんや」って寝とう私を引きずり出してバチバチに叩くんや。勉強せんかい、って」

私「そうなん…」

その他母の毒親エピソードはあったと思うが記憶から消えてしまっている。

締めに母はこう言った。

『まあ、これが私の闇の部分や』

完全に萎縮しきってしまった。

私おかあさんに叩かれたの痛かった。おかあさんなんであんなに叩くん?あとクーラー消し忘れて1万円罰金取られたのも怖かった。あのお金はどこに行ったの?おかあさんが怖いこわいよおかあさんこわい……………

言いたかったことをぐっと飲み込み、だらりと頭を下げて言った。

「こんな病気になってしまってごめんなさい」

母『まあアンタが睡眠障害なのはわかった。心療内科行きぃ。お父さんには秘密にしとくから。あの人心配性やろ??』

母と別れ、それぞれの家へと帰る。

帰り道は脳が灰になり、まっしろだった。 無心で電車に揺られる。

自宅に着くと共に涙が溢れた。玄関にへたり込んで泣いた。 どうして、どうして言えなかったのか。毒親は連鎖するものなのか?言いたかった。言えなかった。負けてしまった。そういえば口喧嘩でおかあさんに勝てたことは一度もなかった。お金じゃんじゃんくれて芸大に奨学金なしで通わせてくれるおかあさんがこわかった。(とても有難いことなのだが)

高校時代、授業が終わるや否や自動車教習所に行き1時間だけ教習を受け、その足でバイトに行って10時ごろによろよろと帰宅した日。「疲れた…」と溢すと、「何言うとん、私なんか朝の5時から晩の6時まで働いて、晩御飯まで作っとんやで?!」

この日から、夫に「疲れた時は疲れたって言っていいんだよ」と呪縛を解いてもらうまで、私はいくら疲れても「疲れた」と言うことができなくなったのだ。

言って欲しかった。『私も疲れたけどアンタもアンタなりに疲れとるよね。お互い今日もお疲れ様』と。

以上が私の「母に」毒親マウントを取られたエピソード。

ねえ、ねえ先生、私は毒親になるんでしょうか?

純白に舞う少女たち

真っ白なセーラー服を身に纏い、歌い踊るアイドルがいた。

その名も「アイドルネッサンス」。

さまざまなアーティストの楽曲をカバーし、彼女たちなりの歌にする『名曲ルネッサンス』を軸に活動していた。

私は大学2回生の頃にこの娘たちに出会い、虜になった。リリイベ、ツアー、行ける距離のライブには極力足を運んだ。

辛い時、楽しい時、いつも私のそばにはアイドルネッサンスの楽曲があった。アイドルネッサンスがいてくれたからこそ頑張れた。だからこそ、数年前「ブレイクさせることができなかった」という理由で解散してしまったのは本当に悲しかった。生きる希望をひとつ見失ってしまった。だが、8人の少女たちが今それぞれの人生を、活動を、続けているということが私の励みにもなった。

アイドルネッサンスのみんなへ

幸せになってね。元気で幸せな人生を歩んでね。貴重な青春時代をアイドルネッサンスに捧げてくれてありがとう。支えてくれてありがとう。「青春というものは作るのではなくて、気付いたら自然にできているものだ」と、ラストライブでセンターの石野理子ちゃんが言っていて、私の青春なんてとっくに過ぎ去ったのにハッとさせられました。たくさんのこと、たくさんの音楽を教えてくれてありがとう。元気をくれてありがとう。自分がアイドルにはまるなんて思ってもみなかったけど、アイドルネッサンスの8人プラス卒業した1人だったからこそ好きになれたんだと思っています。いつまでもいつまでも大好き。

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お題に沿って 2

今週のお題「575」

低気圧 わたしのすべてを 奪ってく

3秒で考えた575。今日は気圧が低低の低すぎて頭は痛いし身体は鉛のようだ。

働いていた頃、上司に「これから梅雨で、私低気圧の日は体調がすごく悪くなるんです」と伝えると、「え、低気圧でそんなことになるの?俺知らんかった」と言われ、低気圧の影響受けない人間っているのか…と戦慄した。

それはそうと575で思い出したが、最近また短歌を詠むようになった。f:id:shiroien:20210614090701p:plain

歌を詠むのは楽しい。この歌は「シンプルだけど深みがある」と講評され、嬉しくなった。

今日はおうちに篭って大人しくしていよう。

ああ お布団気持ちいい。

小林賢太郎に囚われて

賢太郎さん聞こえますか、あなたは私に大変なことをしてくれました

高校2年生の春、私は小林賢太郎片桐仁の2人からなる『ラーメンズ』というコンビに出会った。

出会ってからというもの、DVDを買う為に、書籍を買う為に、小林賢太郎の舞台を観に行く為にバイトに奔走した。

DVDを手に入れてからはとにかく毎晩観る、観る、観る…学生の本業である勉強をそっちのけにラーメンズのコントにのめり込んでいった。

小林賢太郎が大変なことをした、と前述したが、大変なことというのは2つある。

1つめは私の中の男性の顔の好みが完全に「小林賢太郎に似ている人」になってしまった、ということ。

奥二重で、鼻の形が綺麗で、色白。 初めてできた恋人が完全にこれらの条件に当てはまっており、一目惚れしてしまったのだ。

2つめは私に「舞台の音響さんになりたい」と思わせたこと。この思いが大きくなりすぎて、私は大阪芸術大学の舞台音響が学べるコースに進学することに決めた。

賢太郎さん、引退されてしまいましたが、今は公式YouTubeチャンネルにアップされている動画を夫と観ては笑っています。

現役を引退されても、不思議で、美しくて、面白いものをつくることを今後も続けていって下されば、幸いです。

どうしても、どうしても、

たばこが辞められない。

妊活と称して仕事を辞めた(実質はクビ)くせに、これを書いている今もぶかぷかと煙を巻いている。

本当に辞められない。どうしたらよいものか。

ニコチンソルトのVAPE、グローハイパー、紙巻きのセブンスター、ラッキーストライク、チャップマンのチェリー

思い出がありすぎる。大学の隔離されたような竹林の中の喫煙所、銭湯の「これ本当に換気されてる?」と思うような煙の籠った喫煙所、ラブホテルで吸う事後の一服………。

私の脳内のアルバムにはいつも隣にたばこの存在がある。

たばこを辞めるということは、新しいアルバムを作るということだ。

いつ、新しいアルバムを作ろうか。夫は早く作って欲しいと望んでいるように思う。

今までのアルバムから離れ、新たなるそれを作る。とても勇気と体力と忍耐力が必要な行為だ。

いつか作るんだろうな、新しいアルバム。

それで古いアルバムは脳内のフォルダに一時保存されるんだろうな。いつ消されるのかもわからないまま。

あーあ。  たばこが美味しい。

同い年の彼

 

『円ちゃん、何しに東京まで来たの』

「あなたと…えっちするために…きました…」

 

 

令和三年GW、緊急事態宣言の最中、私たちは合流して即 鶯谷のラブホテルへとなだれ込んだ。

夫と「最後の遊びって言ったら変だけど、お互い違う人ともしてみようか」という話になっていたのだ。

 

 

「シャワー浴びさせて」と言うと『このまま』、と。「せめて歯磨かせて」と言うと、ベッドに押し倒された。

 

 

身体の相性は最悪だった。

彼は一度も果てられず、私は彼の大きすぎるモノを入れられた恥部を痛めていた。

 

 

『ちょっと待って、ダウナー入った』

そう言って彼が布団に突っ伏す。

 

これはまずいと思い、慌てて自分のデパスを一錠唇に挟んで彼を仰向けにした。

 

「舌出して」

 

 

二人の舌と舌の間でゆっくりと溶けてゆくデパス。0.5mg錠とは思えない程の効き目を覚えたのは気のせいではない。心配と興奮が入り混じり、甘さを感じている場合ではなかった。

 

 

デパスキスなんて、どこで覚えたの、誰にやられたの』

「即興」

 

信じてもらえていないのだろうが、本当に咄嗟に思いついたことだったのだ。

 

 

朝9時にフリータイムで入ったのに時が経つのがいやに速く、18時のチェックアウトに間に合わせて急いで準備をした。

 

 

彼の家は6畳一間の狭いアパート。

玄関を開けて彼が笑う 『見て』

 

 

足の踏み場がない

 

 

物をよけながら部屋の中央へ辿り着く。布団を敷いてもらって横になる。

 

 

彼はよく寝ていた。普段は不眠が強く満足に眠れないそうなのだが、私のように心を開いた人の前では眠くなるとのこと。

 

 

次の日、布団の中で延々とお喋りをしていた。あの時間が一番楽しかった、と後から言うと俺もそうだったよと返してくれた。

 

 

 

次の日高円寺で約束があるし、前乗りで高円寺のホテルに泊まろう、となり、タクシーで高円寺へと向かった。

 

 

ホテルに入り、シャワーを浴びる。

 

事が始まって数分経ったところで彼が「ああ」と言って項垂れた。

 

並んで横に寝転がってどうしたの?と頭を撫でる。

 

『わかった、円ちゃんさ、俺が大学の時一目惚れした娘に似てるんだよ』

 

 

 

『傷の舐め合いでもする?』

 

それからお互いの昔の辛かった恋愛話・家庭環境の話になった。

 

私は幼い頃から悲しい事や悔しい事があって泣いていると親に物理的に叩かれていた。その為泣きたくなったらトイレに篭って服の袖を噛む癖がついた。幼少期の服の袖はみなぼろぼろになっていたと思う。

 

 

 

『俺のこと、叩いていいよ』

 

 

「大好き 大好き 大好き 大好き」

そう泣き叫びながら彼の頬を全力で叩きまくった。

 

『親御さんも大好きって言いながら叩いてたの?』

「大好きなんか、言われたことないよ」

 

『ちょっとはスッキリした?』

「親の気持ち考えてもうて、余計苦しい」

 

 

 

 

次の日、別のフォロワー2人と一緒にシーシャを吸いに行った。私はシーシャが大好きなくせに並を一本まるまる吸えない為、彼と半分こにしてもらった。店内は薄暗く、小上がりの座敷に敷き詰められた人をダメにするクッションでチルアウトしていた。

2時間が本当にあっという間に過ぎた。

 

 

 

解散して、彼の家に戻る。

 

『円ちゃんさあ、ツイッターでもグループラインでもあんまりそういうこと言わないけど、意外としっかり壊れてんね』

 

 

自覚したくなかった。なんで、なんで、そんなことを言う?なんで、、、

 

涙が止まらなくなった。夕方の町内放送のメロディ。遠くに聴こえる子供の声。すぐ横で眠っている彼の寝息。全てが辛くて苦しくて、号泣しては過呼吸を起こし、また泣いて過呼吸を起こして………。これは本当にいけないことなのだが、その辺に転がっていたソラナックスを大量に飲んだ。それでも止まらない涙と過呼吸

 

 

『お姉さん、今晩帰る予定だよね?こんな状態で帰れると思う?』

「無理」

 

 

結局、石川県に住む夫に車で迎えに来てもらうことになった。本当に申し訳ない気持ちになった。

 

その日は比較的早い時間にソラナックスで眠ってしまい、明けて2時に目が覚めて、軽めの眠剤を飲んでまた眠った。

 

 

朝になり、夫が彼のうちの近くまで着いたと連絡が来た。

荷物をまとめて外に出る。

 

少し歩いたところで彼がマスクを外して

『最後』

と言い、キスをした。

 

 

彼とは性行為の相性は最悪だったが、キスだけは何故かやたらと気持ち良くて、布団にいる間話している時以外はずっとキスをしていた。

 

 

夫の車を見つけ、ありがとうと伝え、乗り込む。

彼が「すみません、よかったら。お車代です」と封筒を渡してくれた。

 

 

東京に来るのは人生で2回目だった。3日間、泣いたり笑ったりと忙しかったが、なにもかもをひっくるめると、楽しかった、に分類されるように思った。