大人になれるまで

白い円と申します

実家が崩壊した時のお話

思い出した順にバ〜っと打ってるので文章がぐちゃぐちゃです。ごめんなさい。

 

 

大学を中退して実家にいた1年間、私は毎日のように父からこのようなことを聞かされていた。

「あ〜疲れたって言って帰ってくるで、パート代一銭も家に入れてへんのに笑」「ほんま死んだらええのにな」「あのダボが」

 

父は私が高校生くらいの頃から「子ら(私には3歳上の兄がいる)が巣立ったら離婚しよう」と考えていたそうだ。まさに子は鎹。母のきつめの性格、散らかった家(これは私も悪い)、母の些細な発言に怒りを覚え、怒りのポイントカードが満点になってしまったのだ。

 

私はてっきり、私が恋人(今の夫)のもとへと引っ越した後に離婚するんだと思っていた。しかし、父はもう我慢が限界に達していたようだ。私が恋人と恋人の弟と一緒に新潟旅行をしている間に別れを告げようと思う、と言われた。

 

それを聞いた私は落ち込んだ。今なのか、と。待てなかったのか、と。

ご飯を用意してもらっても箸が進まず、おかしいと思った母からの質問責めが始まった。でも私の口からは離婚のことは言えない。「なんで言われへんの」「お父さんが浮気してるとか?」………耐えきれず、父に電話するようお願いした。

私は二階に逃げ込んだ。「そんなこと言わんといてよ〜〜〜泣」という声が聞こえた。

 

電話を終えた母は「あんた全部知っとったんやな、知っとったのに知らんふりしといてくれとったんやな、可哀想に」と言葉をかけてきた。あああ思い出した。「あんたの病気と付き合うのはもう疲れた、あんたはもうええわ」と実質捨てられたような言葉も頂戴した。

 

 

私は恋人と恋人の弟との旅を終えた後、近所のマンションの11階から飛び降りようと思っていた。なぜ親が離婚して自殺?と思われるかもしれないが、私は両親が大好きだったのでその繋がりが崩壊することが何よりも辛かったのだ。

 

ある夜、恋人と通話していた。日記にはたくさん泣いたと書かれているのでおそらく両親のことについて話して泣きついていたんだと思う。話の流れか、ぽろっと「新潟から帰ったら飛ぶ」ということを漏らしてしまった。すると恋人は「それはだめやん」「俺も一緒に円ちゃんの地元まで帰る」と言い、朝まで電話を繋いでくれた。日記によると「まだ生きていたいのかもしれない」とのこと。

 

時系列ばらばらになっちゃった 電話の後に戻ります。

 

その夜父が帰宅すると母はまた質問責めを始めた。私はもう耐えられなかった。兄と兄の彼女(のちの義姉)が同棲していた家に逃げ込んだ。彼女さんがカフェオレを入れてくれた。「帰る家なくなってもうた」と私が言うと「ここに帰ってきたらいいやん」と兄が言ってくれた。自分は恵まれていた。

 

 

それから実家に帰らない日々が始まった。兄の家で寝泊まりし、仕事に行き、恋人との同棲に向けての荷造りをしたりして過ごしていた。

母はしきりに死にたい死にたいと言っていた。

 

ある日洗濯物を出そうと実家に寄るとちょうど仕事から帰ってきた母と鉢合わせてしまった。

 

 

「躁鬱の娘に死にたいとか言わんといて…」と溢すと母は大粒の涙を流して「だってこんな状況になったら死にたくもなるわ〜」と言っていた。

 

「お金のこととか諸々、話し合っていてください。それらが解決するまで帰りません」と告げ、兄の家に泊めてもらっていたのだが、ある日兄が「最後ぐらい帰ったったら?」と言った。やはり私がいるのが迷惑だったのだろうか。もうここのお世話になるのはやめようと(母からも他人に迷惑はかけるなと強く言われていた)思い、その日からネカフェ暮らしが始まった。

 

ネカフェ暮らしは案外楽しかった。ゲーセン近いし周りに薬局沢山あるからブロン買えるし、隣の個室からは知らんオッサンが自慰してる音聞こえてくるし。ただネカフェも安くはなく、格安ビジホ暮らしに鞍替えした。これもまあ快適でしたね〜〜〜酒バカほど飲んでた。

 

ある日大学時代の友人に「大学で一泊しよう」と電話をかけると二つ返事でOKをもらえた。いい友達をもった。その時に言われたのだが、「円ちゃんの親御さんって、心配って言葉使わへんよね」と。確かに色々言われたが、他人に迷惑をかけるなやらフラフラされるのは困るやら、心配している様子はどの言葉からもうかがえなかった。

ちょっと寂しい気持ちになり、二人で私と恋人の行きつけのラブホテルに入った。するとまあ、女二人で入ると受付のおばちゃん優しいのね 。300円のお釣りを150円ずつに分けて出してくれた。

 

 

翌日父から「もう帰っておいで」と言われ、帰った。別れるはずの二人はなんら変わりない様子で家にいた。私は離婚届の証人欄に名前を書いた。

 

 

結論から言うと、母が出ていく、ということになり、それから母の引っ越し作業の手伝いが始まった。(私自身引っ越し控えてるのに忙しかったよホンマ)

それから母による洗脳が始まった。

 

父とはもう関わるな、と。

 

 

2019年4月、晴れて恋人との同棲が開始、市役所での勤務も始まりちょっぴり忙しい日々を過ごしていた。

 

夏、恋人からプロポーズを受け、結婚することになった。ここら辺でまた厄介なことが起こった。兄が実家に住むからリフォーム代を出せだの警察を挟むだのと母にメッセージを送った。母はそれに対し「自殺してやる」「どこで首吊ろうかな、楽しみだね」なんて返信をしていた。全私ドン引き。また、婚姻届の証人欄に前述した友人の名前を…と考えていたら「親をバカにしとんのけ」と激しく叱責された。

 

もうこの母は狂っている。狂った母を両家顔合わせの場には連れていけない。そう思い、電話した。はっきりと言った。「簡単に死ぬなんて私に言ってくるような人を大切な人のご両親には会わせられません」と。すると母は「母親失格やね、というか人間失格。もうこれからは円の思うように生きて。幸せになって。」と言った。

 

 

 

その後婚姻届を出して 「入籍したよ」「おめでとう」とラインでやりとりしたのが母との最後の交信になった。

 

 

 

 

さて、今の私はどうしているかというと、手のひらをクルッとひっくり返して父サイドに付いている。父は離婚後半年で再婚し、新しいお母さんと仲良くやっている。近く地元に帰る予定があるのだが、父、新母、兄、兄嫁、夫、私の6人で宴会を開く予定だ。

 

 

 

 

親の離婚はきつい。きつかった。中学生時代の部活の顧問に一連の流れを話すと「お前、人生でそれ以上にしんどいことはもうないぞ」と言われた。

 

ほんとだといいな

私は今、幸せです。 

 

以上